今も人事異動で働く医局員たちへ・・・その2

 私は、大学院で研究し始めた当時は、障害児が生まれてすぐの時期であり、また、関連病院を回ってきた後でしたから、大学院の授業料捻出と衣食住の確保、上述の住民税の支払い等で、アップアップしていました。

 それにも拘わらず、医局長は、バイト先を融通してくれなかったですね。当時、結婚している同級生は私だけだったのに、そこをあまり理解してくれないのですよ。一応、大学病院の医員として、給与は額面25万ほどもらっていましたが、住居手当等の手当もまったく出ませんし、ボーナスもゼロですからね。

 そうなると、私も、研究どころではありません。研究しつつ、転職サイトを利用して、自分でバイト先を探しました。今、考えると、4年間の大学院生活は、研究というよりも、バイトがメインだったかもしれません。

 そのバイト生活の時に、私、いろいろ疑問に思うことが出てきました。「バイトで、こんなに稼げるのに、大学病院の給与はなぜそんなに少ない?」「関連病院のうち、給与が良いとされる民間病院であったとしても、バイト生活の方が、圧倒的に稼げるのでは?」

 転職サイトには、非常勤バイト以外にも常勤医募集も載っていますから、ちょくちょく閲覧していました。そんなのを見ていたら、医局人事が本当にバカらしくなってきたのですよね。それに、結果の出ない研究・・・。

 最終的に、私、自分のQOLを考え、大学院生活3年目の時に、数年後には医局から離れる決意をしました。そして、バイト生活で、どのくらい稼げるのか、チャレンジしました。確か、大学院4年目の時に、確定申告での年収は、2,300万ほどだったと思います。大学病院の給与だけならば、300万・・・ですからね。研究しながら、それなりに頑張ったと思います。

 そんなに頑張ったのに、大学院終了後に人事異動で行った病院では、こき使われる割に、年収1,000万円程度でしたからね。「また、住民税がガ~ン・・・」という1年半でしたし、その期間は、小さい子供を地元に残しての単身赴任でしたから、精神的に辛かったですね。最後のご奉仕のつもりで、何とか頑張りました。そこでも、上司に、「月に2回の週末帰省は、帰り過ぎ」と意味不明のことを言われました。医局の柔軟性の無い古い考えは、本当に嫌ですね。

 ちなみに、その最後の関連病院で働いている時に、私の地元でどこか条件の良い病院が無いか、転職サイトで探していました。いろんな病院があったのですが、年収2,000万は譲れない条件でした。そして、週休2日も必須条件でしたね。週休2日と言っても、病院で土日休みのところは、公的病院くらいしか無いですからね、最終的には、平日1日と日曜日が休みになりました。それに、土日休みって、サラリーマンと同じで、反動で月曜日がしんどいですからね。

 休みのうち平日の1日は、また懲りずにバイトをしていました。このバイトも、割の良いところを転職サイトで見つけて、朝から夕方まで働いていましたね。すでに、住宅ローンも開始していましたし、当時は、車が好きだったので、いろんな中古車を乗るためにも、お金は大事でした。


続く・・・

2025年02月16日